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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)1184号 判決

控訴人 星野五三郎

被控訴人 古谷兵助

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金四十万八千円及びこれに対する昭和二十八年八月十二日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、

(一)、本件各手形が偽造手形であると仮定しても、被控訴人は本件各手形について、その支払期日の頃控訴人が取立委任をした富士銀行から更に取立委任を受けた駿河銀行茅ケ崎支店に対して、支払銀行たる横浜興信銀行茅ケ崎支店を通じて黙示の追認をなしたものである。すなわち、本件各手形はその支払拒絶の事由として、「取引がないので支払に応じられない」という趣旨の符箋が附せられていることと、支払銀行たる横浜興信銀行茅ケ崎支店から本件各手形の照会に対して被控訴人がいずれも偽造手形であることを表明せず、単に商取引がないという理由で手形を返して貰うよう頼んだだけであることから、被控訴人は控訴人の代理人たる駿河銀行に対して黙示の追認をなしたことが明らかである。

(二)、被控訴人はその取引銀行である横浜興信銀行茅ケ崎支店から本件各手形が廻つてきていることを都合二回までも告げられ、その都度普通預金から落してよいかと照会を受けている。もし本件手形が偽造であるならば、被控訴人は右の照会に対し手形が偽造であることを表明すべきであるのに、手形の偽造たることを知りながらこれを黙止しているのであつて、被控訴人の右黙止は取引上の良俗に反するので民法上の責任を負はなければならない。すなわち右黙止はこの民法上の責任を引受けることの表示であり、追認とみなさるべきである。

(三)、右主張がいずれも理由ないとして、自己の氏名が手形上に顕出されていることを知りながらこれを放任したものは、恰も自己の氏名が合名会社の社員として使用されていることを知りながらこれを放任しているものと同一の地位にあるのであるから、その署名に信頼して手形を取得したものに対して手形上の責任を負はねばならない。被控訴人は横浜興信銀行茅ケ崎支店の照会に対し積極的に偽造手形であることを表明しないまゝ放任し、昭和二十八年九月上旬頃、控訴人の依頼により訴外松原数明が手形の交渉のため被控訴人方に行つたとき始めて偽造手形であることを告げたのである。かくの如きは手形の流通取引上正に放任であり、被偽造者たる被控訴人において偽造手形に黙止の許諾を与えた場合に当り、また信義誠実の原則からしても手形上の責任を負わなければならない。

(四)、以上の主張がすべて理由がないとしても、被控訴人は本件手形を偽造した訴外野崎一雄とは昭和二十六年春頃から取引関係があり、また本件は、被控訴人の発行したガソリン注文書が原因をなしている等の特殊関係があつたため、昭和二十八年九月上旬頃控訴人から本件各手形の解決の依頼を受けた訴外松原数明及び手形偽造者たる野崎一雄に対し、本件各手形はいずれも偽造であるが、被控訴人において手形上の責任を負う旨を告げたものでこれにより明示の追認をなしたものである

と述べたほか、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。〈立証省略〉

理由

原本の存在並びにその成立に争ない乙第一、二号証、成立に争ない同第三号証、原審並びに当審(第二回)証人野崎一雄の証言及び原審並びに当審における被控訴本人の尋問の結果を綜合すると、訴外野崎一雄は(イ)昭和二十八年六月四日、金額二十万四千円、満期同年八月三日、支払地振出地ともに茅ケ崎市、支払場所横浜興信銀行茅ケ崎支店と定めた約束手形一通(甲第一号証)及び(ロ)同年六月八日、金額二十万四千円、満期同年八月十日、その他の手形要件は(イ)の手形と同様に定めた約束手形一通(甲第二号証)を、いずれも被控訴人に無断で、架空の団体である湘南地区酪農協同会を振出人と定め、その専務理事として被控訴人の氏名を冒書し、これに有合印を押捺して、訴外日本興業株式会社宛にこれを振出し交付したもので、本件各手形は被控訴人の全く関知しないで作成された偽造手形であることを認定することができる。右認定を左右するに足る証拠は存在しない。

控訴人は、本件手形が偽造であるとしても、被控訴人は追認をなしたから本件手形金を支払う責任がある旨主張するので、これを判断する。権限のないものが他人の代理人として手形行為をなしたとき(署名の代理の場合も含む)は、本人においてこれを有効に追認しうることは民法第百十三条に照して疑のないところである。しかしながら無権代理行為は代理権の欠缺以外の点はすべて代理行為の成立要件を具備することを要するものであるから、あるものが虚無人名義を以て手形を振出した場合、即ち虚無の振出人名義の手形が偽造された場合は追認の基礎たる代理行為の要件を缺如しており、従つてかゝる偽造手形については追認の余地は存しないものといわなければならない。本件においては、湘南地区酪農協同会なる架空の振出人名義を以て本件各手形が作成交付せられたものであること前認定のとおりであるから、これに無権代理行為の追認ということはありえないことである。よつて本件各手形について黙示ないし明示の追認があつたとし又は追認とみなさるべき行為があつたとする控訴人の主張はすべて採用することはできない。

次に、控訴人は、昭和二十八年九月上旬頃被控訴人は控訴人から本件手形について解決の依頼を受けた訴外松原数明及び手形偽造者たる野崎一雄に対し、本件手形は偽造ではあるが、被控訴人において手形上の責任を負う旨を告げたもので、これにより明示の追認をなした旨主張するのでその当否について按ずる。架空の振出人名義の偽造手形について無権代理行為の追認ということが、ありえないことは前段に説明したとおりであるが、架空の振出人名義の偽造手形であつても、振出人が法人その他の団体名義で、その代表機関として手形面に顕出されたものが実在の個人である場合(本件がこの場合に当ることは冒頭認定の事実に徴して明かである。)右実在の個人が、爾後においてその偽造手形について個人として責任を負うことを約したときは、その契約は右実在の個人が偽造手形について個人として手形関係外において民事上の責任を負担する趣旨のものとしてその有効なことは言を俟たないところである。そしてかかる契約は、それ自体控訴人主張の如く追認とは認めえない。しかしながら控訴人の右主張は、その使用する追認なる用語に拘らず、本件手形の振出人たる架空の団体の機関として手形面に氏名を顕出された被控訴人が、個人として本件手形につき支払の責を負う旨の契約をなした趣旨の主張を包含するものと解しえられるので、この点について次のように判断する。

甲第四号証(被控訴人と訴外野崎一雄両名連署の念書)には、被控訴人が昭和二十八年八月二十五日附を以て、同月三日を支払期日と定められた本件約束手形について、手形金二十万四千円の内金五万円を九月五日、残額は同月末日を以て完済する旨約した趣旨の記載があるけれども、成立に争ない乙第三号証、原審並びに当審における被控訴本人の尋問の結果と、当審証人松原数明、同野崎一雄(第一、二回)の各証言(但し後記信用しない部分を除く)を綜合すれば、本件各手形が偽造であることが発覚した後、その善後策のため、偽造者たる訴外野崎一雄は訴外松原数明とともに、昭和二十八年九月初旬頃被控訴人方を訪ね、被控訴人に対し本件手形を承認する趣旨の念書を作成するよう求めたところ、被控訴人はこれを拒絶したにも拘らず、右野崎は被控訴人に無断で被控訴人の氏名を冒書し、その名下に有合印を押捺して甲第四号証の念書を作成し、松原を介してこれを控訴人に差入れたものであることを認定することができる。当審証人松原数明、同野崎一雄(第一、二回)の各証言中右認定に反する部分は、前記各証拠に照して信用することができない。従つて甲第四号証は控訴人の右主張事実を認める資料となしがたい。また当審証人松原数明、同野崎一雄(第一、二回)は控訴人の右主張に副うような供述をなし、成立に争ない甲第七号証(被告人野崎一雄に対する詐欺被告事件における証人松原数明の尋問調書)中にも右同趣旨の供述記載があるけれども、いずれも原審並びに当審における被控訴本人の尋問の結果に照して信用することができないし、その他に控訴人の右主張を肯認するに足る証拠資料は存在しないから、控訴人の右主張は採用することができない。

なお控訴人は、被控訴人が本件手形の偽造であることを表明しないで放任したから、本件手形につき責任があるとし、また信義誠実の原則上責任を負担すべきであると主張するが、偽造手形の被偽造者は手形関係者に対し自から進んで積極的に手形の偽造であることを表明すべき義務なく、これを放任したことの一事によつて、当然偽造手形につき法律上の責任を負担すべきいわれはないものと解せられるし、またかゝる法律上の責任を負担すべき信義誠実の原則なるものは、これを肯認することができない。控訴人の右主張は控訴人独自の見解であつて到底採用に値しない。

してみると、被控訴人は本件偽造手形についていずれの点から考えるも、その責を負うべき理由がないから、被控訴人に対し本件手形金の支払を求める控訴人の本訴請求は失当で、これを棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから棄却することとし、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浜田潔夫 仁井田秀穂 伊藤顕信)

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